kouza 4atabz























































































































植物栽培は「因」と「縁」で成り立っている。
「因」とは根本。
「縁」とは周辺の技術。管理法。手入れ法。

植物栽培の「因」「根本」は・・・「種子」から芽生えること・・・のようなこと。
「縁」「周辺技術」「管理法」とは・・・・水を与えたり、日光を与えたり、調節したり、肥料を与えたり・・・のようなこと。
この講座では、これまで植物が生きていれば、必ず「枯れた葉」が生まれ、「植物死骸」が地表に堆積する。
そこには、必ず・・・それを「エサ」にして生きる「木材腐朽菌」が生息している。
枯れ葉は「リグニン」「セルロース」から出来ている。
これを分解できる菌は、地球では「白色木材腐朽菌」のみである。
分解する過程で、木材腐朽菌は低分子炭水化物の「ブドウ糖」を産生する。
このブドウ糖のエネルギーが、ランの無胚乳種子の発芽エネルギーである。
このエネルギーを木材腐朽菌の菌糸が無胚乳種子に供給している。
それで、ラン科植物は「木材腐朽菌」と共生する進化を行った。
木材腐朽菌は、地球の植物自生地の枯れ葉のあるところであれば、何処にでも生息している。
どういうことで、ラン科植物は地球の南極、完全な沙漠以外のほとんどのエリアに自生することが出来る。
つまり、光合成以外に、もう一つの「エネルギー調達ルート」が植物には存在していた。
葉を具備しない「菌従属植物」は、光合成理論では説明できない。
これが、この講座の根本である。
これを理解しないで、ペレポストを・・・・ただ単に「培養土の一つの種類」と考えている人は、
「縁」の・・・周辺の管理技術のところで・・・・イチャモン付けてくる。
こういうのは、己の技術が「未熟」で・・・臨機応変出来ない・・・・固定観念の持ち主である。
  植物栽培には、これまで何回も書いてきたが・・・
    深い知識。
    確かな技術。
    豊富な経験。
 以上の三つが必要である。
 「鵜の真似カラス・・・水におぼれる」・・・の喩にもあるように、
 「因」を考えないで、技術でランを作る人は、必ず失敗をする。
 つまり、同じ鳥でも、鵜とカラスでは・・・まるで・・・ことなる部分を、機能を持っている。
 ラン科植物26000種。
 その全てが、発芽時において、ラン菌と共生しなければ発芽できない。
 これが「根本」である。
 ならば、ラン菌が生息している「培養土」で栽培することが、原理原則に適った栽培である。
 「因」「根本」は変えることも、変わることもないが、「縁」は改良も、改善も・・・出来る。
 例えば、ランの播種法には「無菌播種法」もある。
 ラン菌など・・・必要ない・・・。
 そういう思考の・・・持ち主が・・・・宇井 清太に反論してくる。
 デモネ。
 地球の陸上に「無菌の空間」「エリア」など存在しない。
 無菌だろうが・・・ランとの共生だろうが・・・「無胚乳種子」が芽生えるには「エネルギー」が必要である!
 このエネルギーを・・・砂糖にするには・・・「無菌状態」でなければ・・・・直ぐにアルコール発酵。
 だから・・・・無菌にしているだけ。
 だから・・・オートクレイブの培養基の滅菌は「縁」であり「因」「根本ではない。
 滅菌する方法は・・・いろいろな方法がある。
 
 ラン菌。
 これまでは、この「根本」が欠如していたから・・・・
 本でも、テレビでも・・・「手入れ法」で紙面を、時間を埋めてきた。
 テレビの「根本」は・・・視聴率。
 本当の栽培法などは・・・・「縁」である。
 蘭展の根本は「入場者数」。
 「ラン」ではない・・・・。
 ・・・・そういうことで・・・・視聴率も入場者数も減ってゆく・・・・。
 イケメンのナビゲーターも、女優のトークショウも・・・「縁」の一つの要素に過ぎない・・・。



ペレポストとこの講座を開いて多くの皆様からお電話頂いているが、
一つ気にかかることがある。
それは、「栽培法」と「管理法」をごちゃまぜにして整理できないで・・・・技術を最短で手に入れ、
ラン栽培する人たちがあまりに多いことである。
一口に言えば、蘭展とかテレビ、多くの本で説明しているのは・・・ほとんど「管理法」である。
現在は・・・そういう時代なのかもしれないが・・・・。

つまり、栽培ではなく「寄せ植え」で、2,3ヶ月き見られる・・・管理法
多年草植物も一年草植物も同じ。
寄せ植えにそぐわない植物は・・・・売れない・・・・。
面倒くさい個々の植物の栽培法などどうでも良い感じ。
ちょうっとした「管理法」を覚えれば・・・「ステキな庭も」「きれいなお部屋も」出来上がる・・・・・
カワイイい・・多肉植物は・・・水もやらないでも・・・・ストレスを解消してくれる????

そういう風潮からすれば、宇井 清太のペレポストなどは、まさに「逆行」もの。
ラン菌繁殖などは・・・・「ぬか床」作り・・・。
面倒くさくて・・・・私には、ボクニハ・・・・ついて行けない。
そんな感じ・・。

その根底には業界の「枯らしてもらう」・・・・・から成り立つ思考。
園芸ビジネスの本流になっている。
そこで行われているのは「栽培法」ではなく「手入れ法」「・・・つまり管理の仕方である。
そういうことで、宇井 清太もそれに迎合して・・・無造作に作れる「ペレポスト」を開発し、
見ず知らずの人に広く提供してきた。
ここで、宇井 清太は大きなミスを犯したようである。
「無造作」という言葉である。
宇井 清太が使用した「無造作」と、多くに人のお遊びで園芸やっている人たちの頭に描く「無造作」に、
大きなかい離があったということである。

宇井 清太に意味は「栽培上の無造作」であるが・・・ラン菌が生きている培養土であれば・・・、
ラン菌と共生してきたランは・・・・自生地と同じように・・・人間の手など借りなくても・・・無造作に生きてきた。
そういうことが可能になったという意味の無造作である。
ところが・・・ラン科植物がラン菌と共生して生きる「菌根植物」であるという基礎知識のない人は、
ラン菌????・・・面倒くさい・・・。
何処が「無造作」なんだ!
ランの勉強に加えて・・・ラン菌の勉強までしなくてならないのか!
面倒くさい。
乾燥させては・・・ダメなのか!
面倒くさい。

考えてみれば、こういうことが出てくるのは・・・至極当然のことであった。
全国津々浦々に浸透して刷り込みされた園芸の知識・・・は、テレビの「趣味の園芸」の言葉と映像である。
栽培法というより「手入れ法」「管理法」を半世紀にわたって行ってきた。
それを・・・あたかも「確定したこと」のように視聴者は・・・脳に刷り込んだ。
テレビなどのメディアは・・・権威を持っている。
そういことで、「ラン菌」というラン進化の根本が削除された栽培法、管理法が流布し続けた。
宇井 清太がペレポストを出すまで、ラン界で「ラン菌」のことは「蚊帳の外」で細々と語られてきたに過ぎない。
そういうことで、洋蘭界も、東洋ラン界も、エビネ界も、野生ラン界も・・・・
ラン菌無視の管理法がアレコレ流布した。
つまり「ラン菌」を削除した栽培法というのは・・・・「栽培法」とは言えないレベルということである。
「砂上の楼閣」のようなもの。
そういうものは、「栽培法」ではなく「手入れ法」である。

そういうことで、蘭展の賞は「手入れ賞」である。
栽培賞ともいえない。
なぜなら、植物の栽培法というのは、ラン科植物以外の植物にも適応、応用出来、
他の植物でも同じように作れる再現性、普遍性を持つものだからである。
ラン菌の生息していない用土での栽培は、ラン菌という根本が抜けているから、勢い手入れの上手、下手がモロに現れる。
これが・・・賞を獲れる人と、取れない人の差になる。
ラン菌が生きている培養土では・・・・その差が小さくなる。
人間の手入れのまずさを・・・ラン菌が補完してくれるからである!
この「補完」の姿を・・・・宇井 清太は「無造作」と表現したのである。

つまり、ラン科植物は・・・枯れるから売れるのではなく・・・・多年草植物である。
こういう植物と遊ぶには、栽培するには・・・一避けて通ることが出来ないことがある。
10年、20年、30年栽培を続けていると・・・・
人生にも紆余曲折があって・・・・どうしても、充分な管理が出来ないことが起こる。
蘭展に出展どころか・・・水やりもできない場面が起こる。
この時、ラン菌のいない培養土栽培では、極端に作落ちして・・・再起不能にまでなる。
ラン菌が生きている「ペレポスト」では・・・こういう場面を・・・相当なところまで耐えることが出来る。
ラン作りを止めなくてもいい・・・のである。
「継続は力なり」。
ラン栽培での「力」は・・・・「ラン菌の力」を指す。
人間の「手入れ能力」ではない・・・・。

ラン栽培は、ラン作りより・・・・「健康持続法」」がより大切である。
「健康管理」という言葉があるが・・・・管理よりもっと大切なもの・・・・・は何か。
栽培法と管理法の違いである。












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栽培法と管理法を・・・勘違いしてはならない。